旧安田庭園の基本情報
以下では「旧安田庭園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
元禄年間(1688~1703)、常陸国笠間藩主だった本庄宗資(ほんじょうむねすけ)が造ったと伝えられる。明治維新後は旧備前岡山藩主・池田侯から安田財閥の祖・安田善次郎へと所有者が変わり、1922年に当時の東京市に寄贈された。戦後は墨田区に移管され、全面的な改修を行って今日に至る。
備考
かつては隅田川の水を引いた「潮入回遊式庭園」だった。現在は、ポンプで人工的に潮入が再現されている。
利用案内
9:00~16:30/無料
住所
東京都墨田区横網1-12-1
アクセス
- JR総武線「両国駅」
- 都営大江戸線「両国駅」
電話番号
03-5608-6951
公式サイト
旧安田庭園の写真や動画
以下では「旧安田庭園」について写真付きでご紹介します。
「旧安田庭園・西口」。通りを挟んで向かい側には両国国技館がある。
「西の園路」。
「水門跡」。この庭園が造成された当時は、近くを流れる隅田川から水を引き、潮の満ち引きによって池の水をコントロールする「潮入回遊式庭園」だった。この水門は潮入池の水位調整のため作られたもので、1960年代まで使われていた。
「雪見灯籠」。水際に置かれる笠の大きな灯籠は「雪見灯籠」と呼ばれる。「浮見」が変化した語であるという。
「北の園路」。ベンチに座れば池を一望できる。
「北から見た心字池」。潮入池は、浜離宮庭園や旧芝離宮庭園、清澄庭園などでも採用されていたが、現在では浜離宮でしか見ることができない。
「旧安田庭園・北門」。通りを挟んだ向かい側には横網町公園がある。
「心字亭」。俺の北端にあるお休み処。遠くに見えるドームは両国公会堂の屋根。
「東から見た心字池」。1967年、東京都から墨田区に移管されたのを機に全面的な改修工事行なわれ、1971年、往時の姿に復元された。1996年には、明治時代の代表的な庭園として東京都の名勝に指定されている。
「東の園路」。
「駒止石」。南端。1631年、隅田川がか大洪水に見舞われたとき、旗本である阿部豊後守忠秋が馬に乗ったまま川を渡り、被害状況を調べて回ったという。その時、馬を止めて休憩したのがこの石だと伝えられている。
「駒止稲荷」。南端。洪水で荒れ狂う隅田川に馬を乗り入れて状況を視察した阿部豊後守忠秋の徳を敬い、周辺の人々が建立したと言われている。
「南の園路」。まっすぐ進むとスタート地点である西出入口。