浜離宮恩賜庭園の基本情報
以下では「浜離宮恩賜庭園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
徳川家宣が六代将軍(1709年~1712年)になったのを機に、この地に別邸が建てられ、「浜御殿」と呼ばれるようになった。さらに十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成、明治維新後は皇室の離宮となり名前も「浜離宮」と変更された。昭和20年11月、皇室から東京都に下賜され、都立庭園となり現在に至る。
備考
南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別される。南庭は、海水を導き、潮の満ち干によって池の趣を変える「潮入の池」が見所。25万平方メートルの敷地は、文化財保護法(第2条)により特別名勝及び特別史跡に指定されている。
利用案内
- 9:00~17:00
- 年末年始休園
- 一般:300円
- 65歳以上:150円
- 団体割引や年間パスあり
- みどりの日(5/4)と都民の日(10/1)は無料
住所
東京都中央区浜離宮庭園
アクセス
- 都営大江戸線「築地市場駅」
- 都営大江戸線「汐留駅」
- ゆりかもめ「汐留駅」
- 東京水辺ライン「浜離宮発着場」
- 東京都観光汽船「浜離宮発着場」
電話番号
03-3541-0200
公式サイト
浜離宮恩賜庭園の写真や動画
以下では「浜離宮恩賜庭園」について写真付きでご紹介します。
出入り口に通じる「中の御門橋」。後方が汐留・浜松町方面になる。入場料は一般が300円で65歳以上が150円。券売所では無料の音声ガイダンスも貸してくれる。
「三百年の松」。およそ300年前の宝永6年(1709)、6代将軍徳川家宣がこの庭園を大改修したときに植えられたと伝えられている。都内では最大級の黒松。
「内堀」(うちぼり)。江戸時代、京都、大阪、長崎などから船で運ばれてきた物資を、江戸城に入れるための中継施設だった。
「お花畑」。江戸時代は「籾倉」(もみくら)と呼ばれる倉が建てられていたことから、「籾倉跡」とも呼ばれる。
「旧稲生神社」(きゅういなぶじんじゃ)。現在の建物は、明治28年、宮内省・匠寮(たくみりょう)の手によって再建されたもの。内部に祀られている宮殿は、その建築技法から恐らく江戸時代後期のものであろうと推定されている。
「梅林」。わかりにくいが、花の下で三毛猫が日向ぼっこをしている。庭園内にはこの三毛猫を含め、数匹の野良猫がいるようだ。
築地川に面した「水上バス発着場」。浅草、両国、お台場海浜公園、葛西臨海公園、桜橋等と連絡している。近くにはマメ科の落葉低木「アメリカデイゴ」が植えられている。
「灯台跡」。庭園の東端に位置している。
「将軍お上がり場」。かつて将軍が船に乗降する際に用いられた場所。昭和24年(1949)のキティ台風で階段の一部が崩れ、海中に沈んでしまった。
東京湾の眺め。遠くには横浜ベイブリッジ、およびフジテレビの球体展望台「はちたま」がかすかに見える。
「新樋の口山」(しんひのくちやま)。東京湾に面した水門近くの山で、やや小高くなっているため湾を一望できる。
「樋の口山」。この山も水門近くにある。「新樋の口山」とは兄弟の関係。
「横掘水門」。新旧の樋の口山に挟まれる形でたたずんでいる。東京湾の水位の上下に応じてこの水門を開閉し、「潮入の池」に入る水量を調整している。
「海手お伝い橋」(うみておつたいばし)。海岸側にある「海手茶屋跡」と庭園とを結ぶ。「海手茶屋」とは、6代将軍徳川家宣が、舟遊びや漁猟の様子を眺めるために建てた休憩所のことだが、今は跡形もない。
「横掘」。「海手お伝い橋」から西を眺めた風景。遠くに見えるのは東京タワー。
「潮入の池・横芝生」。右にある「横掘」と、左にある「潮入の池」とに挟まれた小さな芝生。
横芝生から眺めた「潮入の池」と「中島の御茶屋」。水面に高層ビルが映らない角度が、なかなかないのが残念。
「御亭山」(おちんやま)。小高くなっており、庭園全体を眺めることができる。
「松の御茶屋」。「潮入の池」の目の前に位置しており、「中島の御茶屋」と対を成す茶屋。明治2年(1869)には、イギリス公使パークスとの会食場としても使われた。現在の建物は平成22年(2010)に復元されたもので、立ち入りは禁止。
中島へと通じる「お伝い橋」。宝永4年(1707)、6代将軍徳川家宣が、当園の大改修を行ったときに初めて架けられたという。平成24年(2012)に改修した現在の橋は、全長約118メートルの総ヒノキ作り。
「中島の御茶屋」。「潮入の池」のほぼ中央に、浮かぶような形で位置している茶屋。将軍が賓客たちと和歌を詠んだり、池に船を浮かべてそこで音楽を演奏させたりしたという。
「中島の御茶屋」室内の様子。アメリカの大統領グラントが明治天皇と会見した場所としても有名。現在の建物は昭和58年(1983)に再建したもの。
「馬場跡」(ばばあと)。かつてこの辺りで乗馬の訓練等が行われていたらしいが、立て札がなければまず気づかない。
「鴨塚の碑」(かもづかのひ)。昭和10年(1935)、宮内省の鷹匠・戸部与四郎が、庭園内にある2つの鴨場で捕獲された鴨たちを供養するために建てたもの。地味なので、よく探さないと見つからない。
「小覗」(このぞき)。アヒルを追いかけて引掘の中に入ってきた鴨を小さな覗き穴から観察し、一定数入ったらフイゴを踏んで閉じ込めたという。
「新銭座鴨場」(しんせんざかもば)。飛来した水鳥が安心して休息できる環境を作るため、周囲は約3メートルの土手で囲み、笹や竹などを隙間なく植えて人の気配を感じさせないようにする。立ち入り禁止。
「野外卓広場」。高級ホテル「コンラッド東京」を見上げる位置にある休憩広場。
有料の集会施設「芳梅亭」(ほうばいてい)。9:00~12:00、および13:00~16:00が3,600円で、全日(9:00~16:00)が7,200円。
「可美真手命」(うましまでのみこと)。神武天皇の東方遠征に従い、手柄を立てたという。この銅像は明治27年(1894)、明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品。