横網町公園の基本情報
以下では「横網町公園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
1922年、元々陸軍が使用していた土地を当時の東京市が買収して整備を開始。1930年に開園した。
備考
面積は約2万平方メートル。1923年に発生した関東大震災、および1945年の東京大空襲では多数の犠牲者を出したことで有名。震災による死者約5万8千人の遺骨を納めた納骨堂には、戦後空襲の犠牲者たちが合祀され、1951年、「東京都慰霊堂」と改称された。
利用案内
無料/無休
住所
東京都墨田区横網2-3-25
アクセス
- JR総武線「両国駅」
- 都営大江戸線「両国駅」
- 都営浅草線「蔵前駅」
電話番号
03-3622-1208
公式サイト
横網町公園の写真や動画
以下では「横網町公園」について写真付きでご紹介します。
「横網町公園・正門」。園の東端、清澄通りに面したところにある。両国国技館が近いことから「よこづな」と読みそうになるが、「よこあみ」が正解。
「東京都慰霊堂」。関東大震災と第二次世界大戦の犠牲者16万人を弔うために建立された巨大な堂。堂の裏手にある三重塔は納骨堂となっており、無数の遺骨が安置されている(2014年6月現在改修中)。
「夢とうば」。慰霊堂内部。小さなお塔婆に自分の夢や希望を書き記し、寄進する。
「慰霊堂の油絵」。洋画家・徳永柳洲が、関東大震災の様子を視察し、門下生と共に描いたもの。全部で25枚あるうちの一部が慰霊堂の上部に展示されている。
「幽冥鐘と鐘楼」。東端。関東大震災の犠牲者を弔うため中国の仏教徒から寄贈されたもの。
「震災避難児童弔魂像」。南東。関東大震災の犠牲となった約5,000人の小学校児童を弔うために建立された像。第二次世界大戦中、金属不足のため撤去されたが、1961年に再建された。
「西の園路」。慰霊堂の裏手に当たる場所。
「日本庭園」。北側。
「震災記念屋外展示場」。復興記念館の脇。1923年9月1日に発生した関東大震災により、周辺の下町一帯から多くの人々が整備中の当公園内に逃げ込んだ。しかし密集した家屋と木造建築が災いし、地震で発生した火災による熱風が人々を襲い、公園に避難した人だけで3万8千人が犠牲になったという。
「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。東京大空襲の史実を風化させることなく後世に伝えるため、2001年に建立された。斜面を彩る花は生命を象徴しており、碑の内部には、空襲犠牲者の名を記した「大空襲犠牲者名簿」が収められている。
「子供の遊び場」。復興記念館の前。
「復興記念館・外観」。北端。横網町公園が完成した翌年の1931年、関東大震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるために建造された。
「復興記念館・館内の様子」。館内には犠牲者の遺品、被害品、絵画、写真をはじめ復興事業に関する多くの資料が展示されている。9:00~17:00で入場は無料。