哲学堂公園の基本情報
以下では「哲学堂公園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
哲学堂公園は、東洋大学(旧:哲学館大学)の創始者として知られる井上円了(いのうええんりょう)が、明治37年(1904)、文部省から大学公称の許可が下りたことを記念して建立した公園。井上の死後、昭和19年(1944)に東京都へ寄付されて都立公園となり、その後中野区へ移管されて現在の区立公園となった。
備考
台地部分の広い範囲は「時空岡」(じくうこう)と呼ばれ、南の低地部は「唯物園」、「唯心庭」と呼ばれる。自然の立地や崖を巧みに利用して哲学的な空間や概念を表した特異な公園であることから、平成21年には東京都の指定名勝となった。
利用案内
- 無料
- 年末年始休園
- 4/1~9/30=8:00~18:00
- 10/1~3/31=9:00~17:00
住所
東京都中野区松が丘1-34-28
アクセス
- 西武新宿線「新井薬師前駅」
- 都営大江戸線「落合南長崎駅」
電話番号
03-3951-2515
公式サイト
哲学堂公園の写真や動画
以下では「哲学堂公園」について写真付きでご紹介します。
「哲学関」(てつがくかん)。本園が開設された当時からある門柱で哲学的な宇宙に入り込む際の関所という意味がある。
「哲理門」(てつりもん)。哲学堂の正門で、左右には天狗と幽霊が配されており、前者は「物質界」、後者は「精神界」を表しているという。なお、「物質界」にも「精神界」にも、その根底には常に不可思議が存在している、という円了の妖怪観から「妖怪門」とも呼ばれる。
「常識門」。正門である哲理門の右側にあり、「普通の出入口」という意味で命名された。
「四聖堂」(しせいどう)。哲学堂とも呼ばれ、当園の中心的な建物のひとつ。「四聖」とは、東洋の釈迦と孔子、および西洋のソクラテスとカントのこと。年2回、春と秋に開催される「古建築物公開」で、中に入ることができる。
「六賢台」(ろくけんだい)。「六賢」とは、日本の聖徳太子と菅原道真、中国の荘子と朱子、インドの龍樹と迦毘羅の6人を指す。年2回、春と秋に開催される「古建築物公開」で、中に入ることができる。
「三学亭」(さんがくてい)。神学の「平田篤胤」、儒学の「林羅山」、仏教学の「釈凝然」の石額が祀られている。「三学」は「三角」に通ずるということから、三角形の小山に三角屋根を持つ三本柱の亭と、全てが「三」がらみ。
「硯塚」(すずりづか)。井上円了は全国を巡遊中、その地の人々に請われてよく書を残したという。この塚は、そうした揮毫に対する謝礼金によって建立されたもので「筆塚」と対になっている。
「宇宙館」(うちゅうかん)。講義室のことで「哲学とは、宇宙における真理を追究する学問である」ことから命名された。
「絶対城」(ぜったいじょう)。図書館のことで、「絶対的な真理に到達せんと欲するならば、万巻の書物を読み尽くすことである」という教えから命名された。年2回、春と秋に開催される「古建築物公開」で、中に入ることができる。
「理想橋」。理想の河岸に達する橋。実際には菖蒲池につながる。
「菖蒲池」(しょうぶいけ)。公園南側、四村橋近くにある池で小さな滝もある。
「唯心庭」(ゆいしんてい)。「唯物園」に対する小庭で、世界の根源は精神であるとする唯心論を象徴した区域。
「鬼燈」(きとう)。鬼をモチーフとした石灯籠で、「人の心中に宿る鬼にも良心の光明は存する」という意味がこめられている。
「独断峡」(どくだんきょう)。「唯心庭」と「唯物園」とを結ぶ小道。
「狸燈」(りとう)。タヌキをモチーフとした石灯篭で、腹中の灯篭は「人は時に、光輝ある霊性を発することがある」という意味。
「哲学の庭」。宗教・哲学・法を代表する偉人たちが、それぞれ同心円上に配置されている。ワグナー・ナンドール作の彫像群は平成21年(2009年)、日本とハンガリーの国交回復50周年を記念して、中野区に寄贈されたもの。
「梅林」。観象梁を渡った先にある。中野通りからの入口もあり。
「桜林」。園内西に位置する休憩エリア。中野通りと妙正寺川に挟まれる。
「三祖苑」(さんそえん)。中国の黄帝、インドの足目仙人、ギリシアのタレスの各人を刻んだ石碑が祀られている。
「髑髏庵」(どくろあん)。恐ろしい名前だが、単なる休憩室。骸骨は「俗心の死」を表しているという。
「筆塚」。井上円了は全国を巡遊中、その地の人々に請われてよく書を残したという。この塚は、そうした揮毫に対する謝礼金によって建立されたもので「硯塚」と対になっている。