芝公園の基本情報
以下では「芝公園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
1873年、徳川家康によって現在の地に移された増上寺の敷地を公園として開園。関東大震災、世界大戦、周辺地域の開発を経て、現在のような形になった。
備考
面積は約12万2千平方メートル。園内にはグラウンドや散策路などがあり、東京都における運動公園の走りとも言われている。その他ホテル、学校、図書館などの施設や、クスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木が点在している。
利用案内
無料/無休
住所
東京都港区芝公園4-10-17
アクセス
- JR山手線「浜松町駅」
- 都営地下鉄三田線「芝公園駅」
- 都営地下鉄三田線「御成門駅」
- 都営地下鉄浅草線「大門駅」
- 都営地下鉄大江戸線「大門駅」
- 都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」
電話番号
03-3431-4359
公式サイト
芝公園の写真や動画
以下では「芝公園」について写真付きでご紹介します。
「銀世界」。1908年頃、新宿角筈にあった梅林を移植したもの。見ごろは2月中旬~3月上旬。
「芝東照宮」。南東。3代将軍徳川家光が植えたものとして伝えられる天然記念物の大公孫樹や、重要文化財の寿像などがある。
「平和の灯」。ここにともされている火は、広島市の「平和の灯」、福岡県星野村の「平和の火」、長崎市の「ナガサキ誓いの火」を合わせたもの。1985年の「港区平和都市宣言」を記念して設置された。
「増上寺」。園の中央。創建は1393年で江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として隆盛を極めた。浄土宗七大本山の1つであり、お念仏の根本道場として知られる。
「東の園路」。一角に設置されているペルリ提督の像は、1953年、日本の開国百年を記念し、当時の東京都民がアメリカロードアイランド州ニューポート市に石灯籠1基を贈った際の返礼。
「二天門」(にてんもん)。御成門駅近くの日比谷通り沿いに建つ。「二天門」とは、左右に一対の仁王の像を安置した寺院の門。増上寺三門や御成門などとともに、関東大震災や第二次世界大戦の戦禍を逃れて現在に至っている。
「北の園路」。東京タワーを真正面に見据える一直線の園道は、ドラマのロケ地としてもよく用いられる。
「戦災イチョウ」。園の北端。1945年の東京大空襲で被災したイチョウの木。木肌には焼け跡が生々しく残っている。
「御成門」。もともとは徳川家の菩提寺である増上寺の裏門として作られたが、将軍が参詣する際によく用いられたことから「御成門」と呼ばれるようになった。現在地に移築されたのは1892年。
「メタセコイアの林」。北西の一角。4月~9月には新緑を、11月下旬には紅葉を愛(め)でることができる。近くには東京プリンスホテルあり。
「もみじ谷」。西の一角。1905年、長岡安平が設計した人工の渓谷を、1984年に復活した。大小の自然石を組み合わせた岩場や、その岩場から落下する高さ10メートルの滝などが見所。橋のたもとには、高さ 20メートル、幹回り2.5メートルのケヤキの大木がある。
「宝珠院」(ほうしゅいん)。南西の一角。1685年、増上寺30世霊玄上人によって、弁天堂の建立と同時に創建された。港区指定文化財の閻魔大王や、清和天皇ゆかりの弁財天などがある。また港区七福神のうち「弁財天」に定められている。
「西の園路」。南西の一角で赤羽橋駅の近く。健康遊具あり。近くに立っているのは「ザ・プリンスパークタワー東京」。
「プリンス芝公園」。公園の敷地内に立つ「ザ・プリンスパークタワー東京」の裏手にある円形のエリア。
「円山随人稲荷大明神」。丸山古墳状にある稲荷社。増上寺がこの地に移築された当時、桑名より迎えたご本尊を守護するため、江戸までお供したことから「随人」(従者)と呼ばれる。
「伊能忠敬測地遺功表」。古墳の頂上。伊能忠敬(いのうただたか)の測量の起点が芝公園近くだったことを記念する顕彰碑。1889年に建立されたオリジナルは戦災で失われてしまったため、1965年に再建された。