六義園の基本情報
以下では「六義園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
六義園は1702年(元禄15年)、五代将軍・徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が自らの下屋敷(別邸)として造営した大名庭園。明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が購入、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった。
備考
「六義園」の「六義」とは、元々和歌の六つの基調を表す語であり、和歌に造詣が深かった柳沢が、自ら設計に携わることで、この「六義」を庭園と言う形で再現しようとしたと伝えられる。「回遊式築山泉水庭園」は1953年(昭和28年)に特別名勝に指定された。
利用案内
- 9:00~17:00(ライトアップ時は21:00)
- 年末年始休園
- 一般:300円
- 65歳以上:150円
- 小学生以下:無料
- 団体割引・年間パスあり
住所
東京都文京区本駒込6-16-3
アクセス
- JR山手線「駒込駅」
- 東京メトロ南北線「駒込駅」
- 都営三田線「千石駅」
電話番号
03-3941-2222
公式サイト
六義園の写真や動画
以下では「六義園」について写真付きでご紹介します。
六義園の「正門」。本郷通りからレンガ塀を目印に細い脇道に入る。一般は300円、65歳以上は150円。開園は9:00~17:00だが、入園は16:30まで。
内庭大門をくぐってすぐの場所にある「しだれ桜」。「エドヒガン」という品種の中で、特に枝が柔らかいものを指す。名が示すとおり、お彼岸時期が見頃。昭和30年代、東京都によって植栽された。
「心泉亭」(しんせんてい)。有料施設で、抹茶などを提供している。お座敷からは大泉水の様子を見渡すことができる。
玉藻磯から見た「大泉水」(だいせんすい)。遠くに見えるのが「妹山」(いもやま)と「背山」(せやま)を乗せた「中の島」。
「蓬莱島」(ほうらいじま)。アーチ状に組まれた石の島のことで、明治時代になって岩崎家が据えたものだという。本来は島の上に松の木があったが、震災で倒壊してしまったため、今は石のみとなっている。
「滝見茶屋」(たきみのちゃや)。横を流れる渓流を見ながら休憩できるあずまや。
「水分石」(みずわけいし)。写真中央にあるように、滝口で水を左右に分ける石組みのことをこう呼ぶ。水は井戸から引かれており、ここから流れる水が、庭園全体の水源となっている。
「尋芳径」(はなとうこみち)。かつてこの道は、先にある「吟花亭」に通う際に利用される、山桜が咲き誇る小路だったため、こう呼ばれるようになった。
「吟花亭跡」(ぎんかていあと)。庭園が作られた当時は、「吟花亭」と呼ばれるお花見所があったと伝えられている。今は驚くほど何もない。
「吹上茶屋」(ふきあげのちゃや)。大泉水に隣した場所にある茶屋で、眼前には「吹上浜」がある。「吹上」という名は、かつて砂丘と松林で有名だった和歌山市の「吹上」にちなんでいる。
吹上浜から見た「大泉水」。本場和歌山の「吹上」を模し、所々にクロマツが植えられている。
「躑躅茶屋」(つつじのちゃや)。岩崎家が新設したもので、明治以降の建物としては、唯一戦火をくぐり抜けた木造建築物。柱と梁がツツジの木でできている。震災の影響で、現在は立ち入り禁止。
「山陰橋」(やまかげばし)。庭園の北に位置する橋で、ここから左に直進すると「染井門」、橋を渡ると「蛛道」(ささかにのみち)がある。狩野派の絵師が手がけた「六義園絵巻」にも描かれているが、この頃の端には欄干があったようだ。
藤代峠の前から見た「大泉水」。中の島に通じる「田鶴橋」が見えるが、通行はできない。
「藤代峠」(ふじしろとうげ)。かなり急な石段をらせん状に登る。膝の悪い人は要注意。
「蛛道」(ささかにのみち)。蜘蛛(ささかに)の糸のように細いということから名づけられた小路。「ささ」という音に引っ掛けてか、左右には笹の葉が生い茂っている。
「渡月橋」(とげつきょう)。2枚の巨大岩からなる橋。名は「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」という歌から取られている。
渡月橋から見た「大泉水」。ちょうど北から南を眺めた風景に相当する。
「出汐湊」(でしおのみなと)。前方に見えるのは「田鶴橋」と「中の島」。本来は「妹山」(いもやま)と「背山」(せやま)という兄弟島が見えるはずだが、写真ではわかりにくい。上が平時、下がライトアップ時。
「千里場」(せんりじょう)。かつてここには馬術の訓練をするための馬場があった。そのため一本道が続く。
「藤波橋」(ふじなみばし)。「芦辺茶屋跡」の近くにある小さな橋。赤、黄、緑と色とりどりの木々を観賞できる絶景ポイントの一つ。
六義園の北端にある「染井門」。通常は閉門されているが、11月のライトアップイベント時期のみ、特別開放される。