羽根木公園の基本情報
以下では「羽根木公園」の基本情報についてご紹介します。
歴史
かつてこの辺は「六郎次」という鍛冶屋が住んでいたことから「六郎次山」と呼ばれていた。大正時代末期には、土地の一部が根津財閥の所有だったことから「根津山」と呼ばれていた時期もある。1956年、一旦は東京都立の「羽根木公園」として開園したが、1965年、管轄が世田谷区に移され、現在の区立公園となった。
備考
面積は約8万平方メートル。1979年の「国際児童年」を記念して、全国で初めて子供の冒険遊び場である「プレーパーク」が開設された。都内有数の梅の名所としても名高い。
利用案内
無料/無休
住所
東京都世田谷区代田4-38-52
アクセス
- 小田急線「梅ヶ丘駅」
- 京王井の頭線「東松原駅」
電話番号
03-3322-0415
公式サイト
羽根木公園の写真や動画
以下では「羽根木公園」について写真付きでご紹介します。
「羽根木公園・東口」。公園事務所近くの入口。園名は、この地が「東京都世田谷村大字・世田谷字羽根木」の飛び地だったことにちなんでいる。
「桜並木の広場」。公園東口からまっすぐ伸びる。
「野球場」。公園北側の大部分を占める。平日2時間3,360円から。
「多目的広場」。野球場と向かい合った位置。
「北の草広場」。公園の北端。
「西の園路」。梅林につながる。
「日月庵・星辰堂」。梅林西端にある茶室。利用時間は9:00~17:00。申し込みは世田谷区公共施設利用案内システムであるけやきネットから。
「句碑」。昭和期の代表的な俳人・中村汀女(なかむらていじょ, 1900~1988)による句「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」。女史は世田谷区代田に住み、この辺をよく散策したといわれる。
「飛梅」(とびうめ)。平安時代、時の右大臣であった菅原道真が、京都において大切に育てていた梅に向かって句を読んだところ、梅は主人を慕い、道真の左遷先である太宰府まで飛んで根付いたという。この梅は、太宰府天満宮から寄贈されたもの。
「南の草広場」。梅林の端に位置する。
「南の園路」。梅丘図書館近くの樹林を貫くようにのびる。
「プレーパーク」。公園東側。
「迷路の遊び場」。ここから直進すると公園東口にもどる。